私は小さい時から絵を書くのが好きでした
暇さえあれば書いていたとおもう
最初は姉の影響もあってか、「おねいちゃんよりうまくなりたい!」というのが目標だったのだが、いつしかマンガや絵に携わる仕事がしたい!自分が好きな職業につきたい!などと絵空事を考えていました。
小学校中学校の時は自分の絵に全く自信が持てず、自分の夢を他人に全く教えませんでした。
高校になってからは本当に毎日が怒濤のように過ぎていって、三年間本当に充実して、バイトやら部活やら本当にあっといまに1日1日が終わりました。多分私の人生の中で一番たのしかった三年間だったとおもいます。
高校の私はデジタルの勉強がしたいデザインをやりたい!と思い、デザイン学校に駒をすすめました。
あんなに勉学には真面目じゃなかったのに食い入るように授業を聞きました
この学校は一年で卒業なので、そのあとのことを考えると就職を意地でもしなければ!と躍起でした
その躍起が後の後悔に繋がりました。
入ったのはパチンコ店で、店のPOPデザインをやらしてくれると言う話でした。まだ19の私を雇ってくれる会社など私の県ではほとんど皆無に近く、デザインをやらせてくれる企業はほぼすべてが経験者、もしくはUターンIターンしか雇ってもらえませんでした。
そんななかに未経験大歓迎の字が踊る、パチンコ店の求人を発見してしまったのです。他の会社を受けて、2回落とされた私は躍起になっていた私は冷静な判断も無しに飛び付きました
そして、面接をし、「期待してまってていいよ!」といわれ、その期間およそ1ヶ月就職活動の身動きもとれないままとうとう痺れの切れた私は会社に電話をしました帰ってきた答えが
「白紙にもどそうか?」
期待してまってていいといっていたのになんて仕打ちだよ!!ふざけんなよ!!
しかしやはり当時の私は焦っていたんだとおもいます。一生懸命食い下がりなんとか他の勤務地に飛ばすけどいい?という話で決着がつきました。
そして、今地元からずいぶん遠い勤務地に飛ばされて、店長には言われもない理由で怒られ、自分がいないところであった話をかってに持ち出され、私のせいにされ、いまとなってはろくにデザインもさせてもらえない…一体私はなんのためにここに来たんだろう…私は一体何がしたかったんだろう…あんなに絵を描くのが好きだったのにもういまとなってはあんまりペンも握らなくなりました…
長文で、しかも泣けない話になってしまいましたが、まだここを見ている人にはそんな後悔をしてほしくありません。ちゃんと恵まれた上司がいる会社は自然に立派なんだとおもいます。次就職するときはもっとまともな会社に就職したいです。
最後まで見てくださった方ありがとうございました
夢さんコメントありがとうございます…!
私は20歳です^^
新社会人になりたてって感じです…こんなんで挫けちゃいけないんですけど、仕事中によく、私はこんな仕事がしたかったんだろうか?と改めて考えていたりすると、この仕事に不満が積もります…
そうですね…また専門校に行く…そういう手もありますね…でも、小さいときにお父さんが死んで、私と姉を女手一人で育ててくれた母をひとり置いていくのは私にはどうしてもできません…姉も県外に出ていったまま、そちらで結婚相手を見つけ、4月に結婚するそうです…私も県外に出るとなると本当に母がひとりぼっちになってしまうのは本当に心が苦しいです…
あなたの お母さんだもの。あなたの夢はお母さんの夢!ちゃんと話しをしたら応援してくれると思いますよ。お母さんが心配なら県外じゃなくてもいいじゃない。探して見て!道はいくらでもありますよ。あなたの人生だもん 道は自分で作るものです。 頑張って!大丈夫。
(5)の奴 意味わからん!あほか ボケ!
夢さん、多分そのことを言ったら、母は表上はいいよ、いきなさいっていうと思います。でも内面は多分行って欲しくないと思うんです。高3の時私は大阪の専門に行きたいという話を母にしたことがあります。大抵のことはいいんじゃない?といってくれる母がその時「あんたら2人とも県外出たら、お母さんひとりぼっちになるじゃない…」と呟いていたのを聞いて、私までお母さんの元を離れると本当にお母さんがひとりぼっちになると思い、私は地元の専門を選びました。しかしこの県にはそういう学校がないんです( ´・ω・)なんせスターバックスもない県なんです
名無しのお二方もありがとうございます…!!
しかし最近辞める理由ばっかり考えて仕事してます…
たらやさん、私は 母親です、子供のじゃまする人生って私には考えられない。あなたの中で決まってるんじゃない?それをとやかく言う気はありません。私から見るあなたはお母さんのせいにして 逃げてるとしか思えない。
まあ 仕方ないわね。これ以上私が言う事は ありません。