俺の家は貧乏で、電気やガスも何度か止まる事があった。
俺がまだ小3の時期。同級生の間では、カードゲームやテレビゲームが流行った。
でも俺は持っていない。いや…買えなかった。
もちろん貧しかったから… カードを持っていないせいで、いつも三人グループの子達に
いじめられていた。
ある時、その事を母さんに話した。
話してるうちに、どんどん怒りがこみ上げてきた。
そして俺は母さんに怒鳴った。
「こんな貧乏な家に生まれてこなければ良かった!」
俺のその一言で母さんは泣いた
「龍治ごめんね………」
それから数日後。
母さんは帰って来なかった。
帰って来たとしてもすぐに家を出てしまう。
父親は俺が二歳の時に、病気で死んでしまった。
兄弟はいない。
いつも一人で、母さんの帰りを待っていた。
隣のおばさんが面倒を見てくれていた。
俺が学校を帰る途中……
おばさんが涙目で走って来た。「龍ちゃんのママが倒れたよ!病院に居るから一緒に行こう」
と言った。俺はランドセルを家にも置かないで、急いで病院に走った。
母さんに会うの何日ぶりかな…
俺は涙がとまらなかった。
久しぶりに会うのに母さんは、一言も話さず冷たくなって横になっていたのだ。
小学生には辛すぎる現状。
久しぶりに会った母さん。
とても痩せていた。俺の為に、ずっと働いていた。
家に帰ると机の上に、なにやら大きな袋と手紙があった。
袋を覗くと、俺が欲しがってたカードやゲームがあった。
手紙を読んだ…。
「大すきなりゅうじへ。
ふくろの中見てくれた?
すごいでしょ♪これで
いじめられないね!友だちと
なかよくあそぶんだよ!
いままでつらいおもいをさせてごめんね。これからはずっと、りゅうじのそばにいるよ。
かあさんより。」
涙が出た。
ごめんね…母さん……
俺、母さんの子供に生まれて
本当に良かった。
俺は今でも母さんが買ってくれたカードやゲームを大事に
持っている。
母さん…大好き
ずっと見守っていて下さい
大変ご苦労されましたね。日々大事にして下さい… 私は病気ばかりで楽しい事も特になく毎日治療に励んでいます。でもそんな生活でも嬉しい事楽しい事が有ることをしりました… 心配してくれる友人や先生は大切な宝物です。 私も早くして両親亡くし天涯孤独…でも今はとても幸せです。
ヒドいこというかもしれないけど、それってカードとか買うためにいろいろあってお母さん亡くなったんじゃないよね…
いいお母さんですね……その気持ち、良くわかります。私もあなた様と同じですから。つらいですね…。
もうじき一年かぁ…
昨年の5月に母親が他界しました。享年58才、若過ぎるよ。
母親は7年前暫く家出をしていて、突然帰ってきた。俺は今更…みたいな事を言ってしまった事を覚えている。今思うと、なんであんな事を言ったのか…。
母親身体の具合があまりよくなく、病院に通い始め、検査の結果は卵巣癌、しかも発見が遅かったらしく、各部に転移していた。
母親は、父親の人間ドックに一緒に行くよう、以前から言われていたらしく、行かずに、どこでなにをしていたかは聞かなかったけど…。
暫くして摘出手術を受けることになり、病院の先生には、頑張って頂いた…でも…全摘出は母親の体力的にも無理があり、そのまま残ってしまった…そして…
先生からの結果、余命永くても3年…えっ?ドラマとかなら聞いた事あるけど、実際聞いた時、言葉にならなかった…
あれから入退院の繰り返し、家に居る時は、ご飯とか作ったり、何かと楽しそうではあったけど、それも永く続くことは無く、寝込みがちの生活が続き、入院期間も長くなり、どんくらい経ったか……余命宣告から約6年、父親からもう永くないかもと言われ、兄弟、父親、俺の彼女、兄の彼女、皆で病院に寝泊りで看護。
そして父親と兄が看護の日、いつもより早い時間に父親から電話があり、もう時間が無いかもと言われ、急いで彼女と病院に行った。すると母親は、落ち着いていた?違う!息が途切れ途切れ、心拍数も引く、先生も傍に居た…
それからどんくらいの時間経ったのか覚えてないけど、母親は、苦しむ事無く永眠した…。
皆、涙止まらなかった、看護師さん達も皆来てくれて、母親喜んでくれたのかな…
あれからもうじき一年、俺は彼女と結婚する事になった、二人のウェディング見てもらいたかった、今から産まれてくるであろう子供、孫の顔も見せてあげたかった、俺は産まれてきて物心付いてから親孝行ってしてなかった…
最後の最後まで親不孝ばかりしてしまった…
ごめんなさい…
もう一度だけでも
会いたいです…
今まで育てくれて
有り難うございました…
安らかに眠ってください…
すみません泣けてきました。