ここに書かせて頂く話は、私の中学校時代、そして、現在(高3)に至るまでの、話です。
私には、2つ年上の杏子という姉がいます。
姉は成績優秀、品行方正、学校では先生方に認められ評判がよく、先輩や後輩にも人気があり、クラスでも1番人気があり、生徒会や執行部でも信頼され頼りにされる存在でした。親戚にも近所の人にも認められ、姉は父と母の期待であり、家族の自慢でした。
それに比べて私は、本当に姉妹なの?!って誰もが思うくらいに頭が悪く、友達も少なく人気がありませんでした。
私が中学校に入学した時に姉は中3でした。私の地獄が始まりました。
私はテストで悪い点しか取れませんでした。どんだけ勉強してもテストでは赤点という結果。姉は学年1位でした。姉は入学してから卒業までテストは学年1位で、成績は3年間オール5をとり、全国統一模試では1位や3位など、偉業を成し遂げ続けていました。
私は自分が落ちこぼれだと思い知らされる日々でした。先生方には『お前は本当に杏子の妹か?』とか、『お前も姉ちゃんの真似をしろよ』など日常的に言われ、友達には『なんで南はバカなの』とか、『杏子ちゃん凄いよね。南も頑張んなよ』とか言われる日々。
私の心は限界だった。どうして姉と私を比べるの?どうして私を誰も認めてくれないの?私は次第にそう思うようになり、学校に居ても家に居ても不安とストレスでいっぱいいっぱい。親でさえも姉ばかりで私を見てくれはしない。私は居ても居なくてもいいのかなって思うようになった。
そんなある日、私はついにキレた。姉や家族、学校、教師、友達、全てのものに反抗したかったのか、私は気付いたら髪を染めていた。朝、茶色く髪を染め学校に行った。友達の目はまさに『え?!』って感じ。先生には『何やってるの!戻しなさい!』って言われた。私は凄く嬉しかった。皆が私に気付いてくれた…私は単純に嬉しかった。家に帰ったら母に怒られた。当然だと思った。でも母の言葉に私はさらにキレた。『あんた何やってんのよ!バカじゃないの?お姉ちゃんの事を考えなさいよ!あんたのせいで、お姉ちゃんが恥ずかしいんだよ!そんな事も分からないの?ほんとにあんたは居るだけで杏子や私たち家族にに迷惑かけてるんだわ!頭悪いだけじゃなくイカれてるわよ!』と叫ばれた。私は『うるせぇ!』そう叫んでイスを蹴っ飛ばした。私は部屋に戻ると涙が止まりませんでした。悔しい。私は髪を染めて怒られたのではなく、姉の立場を考え怒られたのだ。私は髪を染めるという行為で母に私の心が壊れかけてきている事に気付いて欲しかったのだ。ただそれだけでした。なのに母は分かろうともしてくれなかった。私の心より姉、私の心より世間体を選んだのだ。
私はその後さらに荒れ狂っていった。口も悪くなり、学校での態度も悪く、先生に暴言を吐くのも毎日。先生に注意されればされる程に暴言を吐き、物にあたっていました。そんな自分に自分でも嫌気がさしていたけど、他に逃げようがなかった。苦しかった。目に見えるものが全部悪意を感じた。自分が崩壊していくのが手にとるように分かってた。そんな私は家族にさらに見放された。家に居ても会話はなかった。たまに話せば口論。そしてまたきまって、『あんたなんかいなければいいのに』と言われるのだ。私は自分の存在価値が分からなかった。姉が居る限り私は誰にも認められない…私は姉さえも憎むようになり、姉は自分の評判を下げる私を忌み嫌い、憎んでいた。姉妹間に笑顔も会話もなくなった。そんな後、姉が難関有名進学校の特進クラスに塾に通う事もなく合格した。私は学校から居なくなる事が嬉しくて仕方なかった。これでやっと私を見てもらえるようになると期待した。期待は虚しくも叶わなかった…。姉は高校生になり、学校をあげて讃えられたのだ。家族も一層、姉を褒め私を見なくなった。悔しくて悲しくて辛くても誰にも言えなかった。人前で泣くなんてできなかった。私は弱い人間なのかなって思った。
月日が流れ私も高校受験にさしかかった。私は地域でも有名なバカ高校に進学をした。頭が悪かっただけじゃなく、私は反抗心から勉強をしなくなったため、この学校しか受けようがなかったのも事実だ。が、反面、母や世間への反発もあったのだ。難関有名進学校に通う姉の妹が有名バカ高校なんて、最高にうける。母や姉を苦しめるには最高だと思ったのです。
4月入学して早々に私は、クラスの一部女子にいじめられた。理由は私を気に入らない子が私のデマを流したのだ。私は姉の事を知らない高校に入学し、新しい自分で新しい生活を送りたくて、いい人を演じていた。それが原因。私の高校生活は最悪なものになった。女子に完全に無視され、男子が話しかけてくれれば『男好き。』そう言われもっと嫌われいじめられた。私は学校に行くのが怖くなり食欲もなくなり不眠症に陥った。母は『あんな学校だから仕方ないんじゃない?自業自得よ。休むなんて許さないからね』と言われ、私はさらに追い詰められていきました。私は自殺を考えるようになった。心は遠い昔に死んでた。分かりやすくいえば殺されたも同然だった。いつ死んでもいい気持ちになってた。怯えて暮らす生活も、存在を無視される生活も、比べられる生活もうんざりだった。消えたかった。
そんな私は高Aのクラス替えを機に変わった。私をいじめる人達はいなくなった。私は全てを捨てる事に決めた。自分を認めてほしいと思う気持ちも全て。そうしたら少し楽になった。認めてくれないなら自分が自分を認めてあげればいいんだと思ったから。逃げるとかじゃなく、自分と向き合う感じ。
今、高3になって私は就職する事にした。きっとできの悪い私に母は進学をさせてはくれないだろうと分かったから…。姉は超有名大学に進学した。学費も高いみたいだ。でも父母は姉にお金を遣うのは惜しまない。私が昔、『大学か専門に行きたいかも』と言った時に母は『あんたに出すお金はない』と言いきった。だから私は小さい頃からの夢の保育士は諦めるしかなかったし、口にできなかった。だから就職して早く、家を出て自立したいのだ。早くこんな生活からも抜け出したいから。そして私は、一人で生きていく強さを身に付けたい。自分を愛したい。世界に自分はたった一人しかいないから…。
今、将来の夢は私を愛してくれる人と結婚する事。保育士が無理なら、自分の子供を愛せばいい。自分と同じような思いはさせたくないから。いつかは、こんな自分の事を、人を、過去を許せたらいいな。笑える日がきたらいいな。
私は人を愛したい。
私は人を認めたい。
私は優しさを配りたい。
私は…私を愛したい。こんな自分を。守りたい。
生きたいと今強く思う。
イタチだな
自分も周りに比べられて
自分より小さい子にまで相手にされなくなった思い出されますZ今では馬鹿にするのではなく相手にされない、もしくは無視されます今がその現状ですZ親も一人暮らしはなかなかさせてもらえませんZ
自分が自分を認めてあげるという考え方が とても素敵だと思いました!!保育士の夢も諦めずに、いつか叶えてほしいです♪
自分で学費かせいで進学するか一人暮らしすれば?
まあ根性なさそうな甘ったれなガキには無理かw
俺も全く同じだよ
兄ができるひとで
高校は地元の有名なAラン高校
俺も一生懸命勉強しても全くダメでfラン高校
兄は大学も変わらずそんな感じだ
俺がまだ大学に行ってないがこのままいけば高校とまったくおなじだろう
俺も常に言われ続けてる
けどそんな俺でも充実しているよ
俺も友達が多いいわけじゃない
むしろすくない
けど友達が少なくてもいいじゃんと思う
孤独よりいい
俺は百人友達できようが親友が一人いれば百人もいらん
量よりしつだよ
なかのいい人が一人いるだけですべてちがくみえるよ
俺はそうだよ
暗かったけど明るく見えるようになった
だからまわりにいないか探してみて
もしいなかったら
新しく就職するなら職場の人でいい
だからそんな人を一人でいいから作ってください
変われますよ
文章能力低くてごめんなさい